古代のロマン溢れる古都奈良。
その中でも飛鳥地方は平城京遷都以前の趣きのあるエリアです。
豊浦宮(とゆらのみや)・小墾田宮(おはりだのみや)・岡本宮(おかもとのみや)・板蓋宮(いたぶきのみや)・川原宮(かわらのみや)・飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
次々と遷都が行われていますが、全て飛鳥におかれ100年近く栄えた土地なんです。
飛鳥時代っていいますよね
聖徳太子や蘇我入鹿、大化の改新など、1度は聞いた名前じゃないかと思います。
その飛鳥の絶対に行くべき名所を1日で全て巡るモデルコースを紹介します!
橿原神宮駅~丸山古墳~欽明天皇陵~吉備姫王墓
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まず最初に橿原神宮駅東口にある
明日香レンタサイクルで自転車を借りましょう
電動アシスト付き(1日1500円)が必須です
飛鳥エリアは丘陵地帯も多く、普通の自転車を使うと翌日筋肉痛になることまちがいありません。
丸山古墳
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橿原神宮前駅から南へ約5分
国道169号線を行くと左に見えてくるのが
丸山古墳です
円墳(丸型の古墳)に見えますが実際は前方後円墳
全長約310m周壕を含めると420mの大きさで
奈良県最大の前方後円墳です
6世紀後半に作られたとされていて
その大きさや石棺の様子から
欽明天皇(きんめい)や 妃の堅塩媛(きたしひめ)、 蘇我稲目(そがのいなめ)などの墓なのでは
といわれていますが現在でも不明となっています
欽明天皇陵
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丸山古墳から南へ約10分
国道169号線からまったく見えないですが左にあります笑
グーグルマップさんにお願いしましょう
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欽明天皇は第29代天皇で約509年~571年の間存命したとされています
継体天皇(けいたい)と手白香皇女(たしらかのひめみこ)の子
敏達天皇(びだつ)用明天皇(ようめい)崇峻天皇(すしゅん)推古天皇(すいこ)の父
推古天皇は女帝として有名ですね
全長約138mの前方後円墳
吉備姫王墓
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欽明天皇陵のすぐ南に見えるのが吉備姫王墓(きびひめみこのはか)
欽明天皇の孫で皇極天皇(こうぎょく)斎明天皇(さいめい)の母
天智天皇(てんち)天武天皇(てんむ)の祖母にあたります
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ともにあるのが猿石
こちらの方が有名ですね
おもしろい顔の石像です
猿石といわれますが渡来人を象ったものらしいです
キトラ古墳~高松塚古墳~文武天皇陵
キトラ古墳
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欽明天皇陵から南下2分
飛鳥駅前を左折し次の交差点を右折
緩やかな坂を上っていくと見えてくるのが
キトラ古墳周辺地区
キトラ古墳と周辺の長閑な田園地帯
いちご農家さんが沢山ありますよ
7世紀末から8世紀初め頃に作られたとされる円墳
天武天皇の皇子の高市皇子(たけちのみこ)や右大臣阿部御主人(あべのみうし)の墓など色々な想像がされています
なによりすごいのが古墳内の壁画
青龍・白虎・朱雀・玄武の四神像や12支
天井には北極星や北斗七星といった天文図が書かれています
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キトラ古墳すぐそばにある
キトラ古墳壁画体験館で見れます
高松塚古墳
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キトラ古墳から北へ約8分
国立飛鳥歴史公園の東付近に見えてくるのが
高松塚古墳です
こちらも7世紀末から8世紀初頭に作られた円墳
キトラ古墳と同じで、天武天皇の皇子や有力臣下説があります
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石室には男子4人・女子4人1組の群像図が書かれています
教科書などに掲載されている有名な絵で
飛鳥美人の名前で知られています
こちらの壁画は高松塚壁画館で見れます
文武天皇陵
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高松塚古墳の南東に見えるのが
文武天皇陵です
文武天皇は第42「代天皇で約683年~707年の間存命したとされています
父草壁皇子(くさかべのみこ)が皇太子のまま亡くなり
叔父の高市皇子(たけちのみこ)も亡くなった為
皇太子となり、その後祖母持統天皇(じとう)から譲位され天皇となりました
夫人藤原宮子との間の子供が
聖武天皇(しょうむ)ですね
鬼の雪隠・鬼の俎~天武・持統天皇陵~亀石~橘寺
鬼の雪隠・鬼の俎
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文武天皇陵から北西へ5分
長閑な遊歩道の脇にあるのが
鬼の雪隠(せっちん)鬼の俎(まないた)
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昔この地方に鬼が住んでいて
人をだまして捕まえて食べてしまう
俎て調理をして雪隠で用を足したらしい
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そんな言い伝えがありますが
欽明天皇陵の石室の
底石が雪隠でその蓋が俎だそうです
天武・持統天皇陵
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鬼の雪隠・俎の遊歩道を進むと右手に見えてくるのが
天武天皇と持統天皇陵です
天武天皇は第40代天皇で686年に亡くなっているのですが
生まれた年が不明なんです
舒明天皇(じょめい)と皇極天皇(こうぎょく)の子で
兄が大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのみこ)
後の天智天皇
天智天皇の皇子である大友皇子(おおとものみこ)を
壬申の乱で倒し天皇になりました
天武天皇の皇后が持統天皇です
天武天皇の亡き後天皇になった女帝
645年~703年の間存命しています
なんと天智天皇の娘です
父親の弟に嫁ぐってすごくないですか?
現代では考えられないですが
当時では普通の事だったようですね
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この2人のお墓
直径50mの円墳もしくは八角墳
持統天皇は日本で始めて火葬されたといわれています
天武天皇・持統天皇のストーリーは多くの書籍になるほど
おもしろくミステリーが多いので
気になる方は是非1度読んでみて下さいね
亀石
![亀石説明](https://i1.wp.com/nobirublog.com/wp-content/uploads/2019/05/20190512_113220.jpg?w=1256&ssl=1)
天武・持統天皇陵から北へ5分
亀石は見えて来ませんが
明日香レンタサイクルの営業所が見えてくるのですぐにわかります
奈良盆地一帯が湖だったころ
対岸の当麻のヘビと川原のナマズが喧嘩をして
勝ったヘビが水を全て吸い取ってしまって
川原の辺りは干上がってしまいました
湖の亀が全部死んでしまったので
哀れんだ村人が亀石を作って供養したそうです
亀石は最初北を向いていたのですが
次に東を向いたそうで、現在は南西を向いています
西に向き当麻の方向を睨みつけると
奈良盆地一帯は泥の海と化すといわれています
恨みは今も残っているんでしょう
![亀石](https://i0.wp.com/nobirublog.com/wp-content/uploads/2019/05/20190512_113213-4.jpg?w=1256&ssl=1)
目の感じが亀よりカエルに見えませんか?
橘寺
亀石から東へ10分
右手に見えてくるのが橘寺です
聖徳太子が生誕した地に建立されたお寺
推古天皇が発願し聖徳太子が建立したそうですが
建立年は不明です
室町時代の1506年に焼き討ちされ廃寺同然になりましたが
聖徳太子ゆかりの寺として存続し
1864年に本堂として太子堂が再建されました
![二面石](https://i1.wp.com/nobirublog.com/wp-content/uploads/2019/05/20190512_114013-1.jpg?w=1256&ssl=1)
善と悪の顔をあわせ持つ二面石が有名です
ここまでが前半です。後半はランチから始まりますのでご期待くださいね!